仙台地方裁判所 昭和27年(行)17号 判決
原告 関永治郎
被告 宮城県知事
一、主 文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
二、事 実
原告訴訟代理人は賃貸人相沢包助賃借人原告間の古川市古川字五壇原八番田一反三畝二十八歩に関する賃貸借契約につき被告が昭和二十七年四月三十日なした解約の許可処分を取消すとの判決を求め、その請求の原因として原告は約二十四五年前以来訴外相沢包助から前記の田を賃借し来つたが右訴外人は原告が昭和二十四、五両年度の小作料を滞納したことを理由として昭和二十六年十二月九日被告に対し賃貸借契約解約の許可を申請し、被告は昭和二十七年四月三十日指令第三一五一号を以て右申請許可の処分をなした。原告は同年六月二十一日訴外相沢から契約解約の意思表示に接し、はじめて被告の右許可処分のあつたことを知つた。
然しながら被告の右許可処分は以下に述べる違法がある。即ち原告は前記の田一筆及び同字三番田八畝二十二歩を賃借していたが訴外相沢は昭和二十一年春になつて突如として訴外佐々木義雄をして右二筆の田に肥料を運び込ませ、実力を以て原告からこれを取上げようとしたので、原告は直ちに抗議を申入れた結果、相沢との間に特に同年度に限り右田を同人と折半して耕作し、翌年度からは従来通り全部原告がこれを耕作することを約した。ところが相沢は約に反して昭和二十二年度も引続き耕作しようと策したが、原告はこれを拒絶した。原告は同年中に前記三番の田を自創法により売渡を受けたので、昭和二十三年度になつて本件田の小作料を相沢の許に持参して提供したところ、同人から「小作料は要らないから田を返せ」とてその受領を拒まれたので、昭和二十四年四月六日相沢に対し郵便為替によつて送金した。次いで昭和二十四年秋同年度の小作料を相沢の許に持参して提供したが、同人は前年同様田の返還を求めるのみでその受領を拒絶した。原告は昭和二十五年秋病に罹り昭和二十六年まで古川市内の病院で治療を受けたほか、東北大学附属病院桂外科々長の来診を求め、その間多大の出費を要し、加えて前々年来の前記の経過に徴し再び相沢から田の返還を求められるのみで小作料の受領を拒まれることを慮り、昭和二十五年度の小作料はこれを支払わないでいた。そうしているうちに原告は相沢が古川市農地委員会を経由して被告に対し賃貸借解約の許可を申請したことを聞き及んで早速相沢に対し従前の小作料の滞納を詫びその支払をすべくこれを提供したが同人からその受領を拒まれたので、右農地委員会に委任して相沢に対し昭和二十五、六年度分小作料を支払い、その後間もなく昭和二十四年度分小作料を直接相沢方に持参して支払つた。かように原告が小作料を延滞したことについては宥恕すべき事情があつたばかりでなく、相沢は当年六十六歳でもと宮城県土木工区の吏員で現に恩給として年数万円を支給されているほか、相当の資産を有し、同人はもとよりその家族たる妻さよ(六十四歳)娘(二十二歳)も農業の経験がなく、又同人は農業経営に必要な施設も有しないから本件土地の返還を受けても何等生産力の増進に貢献するところがない。
以上のような事情があるにも拘らず訴外相沢の申請を容れてなした被告の許可処分は違法であるから取消さるべきであると述べ、
被告主張の事実中原告の耕作農地の面積、家族数及び訴外相沢の世帯員数は認めるが、原告方の農耕に従事する者は原告夫婦、長男及び長女の四人である。その余の事実は不知と述べた(立証省略)。
被告訴訟代理人は原告の請求を棄却する、訴訟費用は原告の負担とするとの判決を求め、答弁として、原告主張の事実中その冒頭から被告が解約許可の処分をなしたまでの点、原告がその主張の時期に右許可処分のあつたことを知つたこと、原告がその主張の田を自創法により売渡を受けたこと、原告が訴外相沢の右許可申請をした後相沢の許に詫入り滞納に係る小作料を提供したが同人からその受領を拒まれたこと、その後原告がその主張のように滞納に係る小作料を支払つたことは認める。原告と訴外相沢間に昭和二十一年春本件田ほか一筆の農地につき原告主張のような紛争があつたかどうかは知らない。その余の事実はすべて争う。
被告は原告が田一町八反七畝、畑一反八畝を耕作し家族は原告とも十名(うち農業に従事する者二名)であるに対し賃貸人相沢は田一町三反二畝九歩、畑二反四畝を所有するもののそのうち僅かに畑一反二畝を自作するのみで世帯員として妻及び娘一名を擁しその生活状態は原告に劣り、且つ耕作能力は十分であることと、原告が右のような規模で農業を営みながら本件におけるような比較的少額の小作料を支払わないことは宥恕する余地のないものと認め本件許可処分をしたのであるから何等違法としてこれを取消さるべき理由はないと陳述した(立証省略)。
三、理 由
原告は訴外相沢包助から本件農地を賃借していたが、右訴外人は原告のこれに対する昭和二十四、五両年度小作料の滞納を理由として昭和二十六年十二月九日被告に対し解約の許可申請をなし、被告は右申請を容れ昭和二十七年四月三十日指令第三一五一号を以て許可処分をしたこと、原告がその主張の日時右許可処分のあつたことを知つたことは当事者間に争がない。
よつて被告の右許可処分の適否につき判断する。
原告が右両年度の小作料を各年度の収穫季節後相当期間内にこれを支払わず訴外相沢の被告に対する本件解約許可申請後その係属中に漸くこれを支払つたことは当事者間に争がない。そこで更に原告が右のように小作料を延滞するについて宥恕すべき事情がなかつたか否かについて考察を進めなければならない。原告が訴外相沢から昭和二十三年以降賃借していた農地は本件の田一反三畝二十八歩一筆だけであることは当事者間に争なく、成立に争のない甲第四、六号証に原告本人尋問の結果を綜合すれば右田の小作料は昭和二十四年度は金八十三円六十三銭、昭和二十五年度は金五百八十八円七十七銭にすぎないことが認められ原告は当時田一町八反七畝、畑一反八畝を耕作していたことは当事者間に争がないから原告が右のように僅少な小作料の支払に困難があつたとは到底考えられない。
けれども原告がその支払をしなかつた事情について仔細に検討してみると成立に争のない甲第三号証に証人伊藤常蔵、門間熊之助の各証言及び原告本人尋問の結果を綜合すれば原告は訴外相沢から本件田のほか同字三番田一筆を約二十五、六年前から賃借していた。ところが昭和二十二年春頃相沢は突如として実力を以て原告から右農地を取上げようと策し、原告に無断で堆肥等を運び込んだので紛争を醸したが、原告は止むを得ず同年度に限り二筆の農地を相沢と折半して耕作し、翌年度から従前の通り原告が全部これを耕作することとしたこと、然るに相沢は約に反して翌年度も引続き右田を耕作しようとしたが原告の申立による地元農地委員会の調停により原告が従前のように右農地全部を耕作することとなつたこと(尤も右三番の田は同年中原告が自創法により売渡を受けたことは当事者間に争がない。)原告は昭和二十三年度の小作料を相沢の許に持参して提供したが相沢は故なくその受領を拒み本件田の返還を求めて止まなかつたので、原告は昭和二十四年四月六日頃右小作料金八十三円七十銭を郵便為替により相沢に送金して支払い、次いで翌昭和二十四年度の小作料も態々相沢方に持参して提供したが、同人から前年同様田の返還を求められるのみでその受領を拒絶されたこと、原告は昭和二十五年十月半頃から昭和二十六年初頃にかけて坐骨神経痛を患い医師の治療を受けなければならなかつた(尤もその間外出もできない程の病状にあつたのは昭和二十五年十一月末頃までである)ような事情と軽快に赴いた後も両三年来の前記認定のような相沢との紛争のため自ら相沢方に赴くことは自然気が進まなかつたような事情もあつて昭和二十五年度の小作料は相沢が本件許可の申請を古川市農地委員会を経由してなした旨同委員会から注意を促されるまでこれを提供しなかつたことが認められ、他方証人相沢包助の証言と右認定事実により相沢は事毎に原告から本件農地返還の機会を窺つていたことが認められる。
右認定事実によつて考えるに昭和二十四年度小作料については債権者たる訴外相沢に受領遅滞の責があることは明かで、右受領遅滞を解消することなくして原告に滞納の責ありとすることはできないし、又昭和二十五年度の小作料についてはすでに前年の小作料が相沢によつて故なく受領を拒まれた儘になつているばかりでなく数年来の如上の経過に徴し、仮に原告が相沢に対しこれを提供したところで他に特別の事情のない限り再び相沢から田の返還を求められるのみで、その受領を期待することのできないことは殆んど火をみるより明かなところとせざるを得ず前記認定の「原告は相沢方に赴くことに気が進まなかつた」とはこの間の事情を慮つた心境を物語るものと考えられる。証人相沢包助は右許可申請前再三に亘り原告が小作料の支払を委託していた古川市農地委員会を通じて原告に対し右両年度の小作料の支払を催告した旨証言するけれども相沢の本件許可申請が古川市農地委員会に提出された以前から原告が同委員会に対し相沢に対する小作料の支払を委託していたことを認むべき証拠がなく成立に争のない甲第四、五号証及び証人伊藤常蔵の証言、原告本人尋問の結果により原告は昭和二十六年十二月右農地委員会から、相沢が被告に対する本件許可申請をしたことを聞き及び早速昭和二十四年度から昭和二十六年度分の小作料と損害金を調え訴外伊藤常蔵と同伴の上相沢方に赴き、同人に対しこれを提供して農地の返還をとり止めてくれるよう懇願したが相沢はこれに耳も藉さず「切角返還許可の請求しているのだから受取れない」と言つて受領を拒絶するので原告はここにはじめて昭和二十七年一月九日頃前記農地委員会に対し右小作料の支払を委託するに至つたことが認められるから、前記相沢証人の証言は信用できない。又証人篠恒彦は「原告は相沢から再三小作料の督促を受けていたばかりでなく農地委員会からもこれを納めるよう注意したがそれでも納めなかつたということである」と証言するけれども相沢が原告に対し直接催告をしたことについては証人相沢包助の証言に対比し信を措き難く、又前記農地委員会が相沢の本件許可申請をその経由機関としてこれを受付ける以前から原告の小作料の滞納を知つていたと認むべき資料が他にないから、右注意を促した時期は相沢の申請を受付けた後と解すべきであるが、右「注意」が相沢の催告と同視さるべきでないことは言うまでもなかろう。他に原告が前記のように昭和二十六年十二月中訴外相沢に対し小作料の支払の提供をなすに先立つて右訴外人が受領を遅滞していた昭和二十四年度の小作料につき右受領遅滞を解消し、且つ昭和二十五年度の小作料につき前記のような従前の態度を改め原告から履行の提供あらばこれを受領すべきことを示したと認むべき証拠はない。
然らば昭和二十四年度の小作料については勿論、昭和二十五年度の小作料についても右のような事情の下においては原告がその支払をしないことを以て同人にその責を帰することはできないものとするのを相当とする。もとより成立の争のない甲第三ないし第五号証、第七号証、第十号証に証人伊藤常蔵の証言及び前記認定の小作料の額等を綜合して考えれば原告にしてその方途を選ぶならば前記小作料につき郵便その他の送金方法をとるとか、市農地委員会に支払を委託するとか、或は弁済供託をする等たやすくその手段を構じ得たであろうし、且つそれによつて原告の好まないところの自ら金銭を相沢方に持参して提供するを要せずして容易に免責を得たであろうことは否定することができない。けれども訴外相沢は前記のように少額の小作料は殆ど眼中になく、ひとえに土地取上げの機会を窺い自ら再度に亘り原告からの支払の提供を故なく拒絶しておきながら、原告に宥恕すべからざる滞納ありとし、これを好機として解約の許可申請に及ぶに至つては原告の無知若しくは不用意を逆用するものとして到底これを看過することはできない。
以上の次第であるから昭和二十四年度の小作料についてはそもそも原告に遅滞の責なく、又昭和二十五年度の小作料については原告がこれを滞納したことにつき宥恕すべき事情があつたものというべきであるからこれを以て契約解除若しくは解約の事由とすることはできない。
けれども、訴外相沢包助の世帯員は妻及び娘一人合計三名であることは当事者間に争がなく、証人相沢包助の証言により右訴外人はもと宮城県庁に奉職し田畑約三町歩余を所有していたが農地改革によりその凡そ半を買収され現在なお田一町三反二畝、畑二反四畝を所有するもののうち自作に係るものは僅かに畑七畝のみで他はすべて他人の小作地となつていること、同人は目下古川市臨時嘱託として一ケ月平均約二十日同市役所に出勤しているが同人の収入は同市役所から支給される日給金三百円、国庫から支給される恩給一ケ年金四万七千二百円のほかその他一切を合せても年収金十四五万円を出でず生活が困難でせめて原告から本件田の返還を受け、これを自作することは生活の安定をうるための切実な念願であること、そして右訴外人方においては同人自身前記嘱託としての勤務の余暇を利用し同人の妻その他の親族等と協力して本件農地を耕作するに足る労力があり又農業用設備としても一応これを耕作するに足るだけのものはあることが認められ、他方原告方の世帯員は十名であつてその耕作面積は田一町八反七畝、畑一反八畝に及ぶことは当事者間に争がなく、成立に争のない乙第二号証に原告本人尋問の結果を綜合すれば原告方においては原告及びその長女(二十歳)長男(十八歳)の三名が農業に従事し、原告及び訴外相沢に対し賦課される税額の比較からしても原告の収入は訴外相沢のそれを遙かに凌駕するものがあることの一端を窺うに足り、原告が本件農地を相沢に返還してもこれにより相当な生活を維持することに困難を来す程の影響はないものと認められる。尤も相沢証人の証言により訴外相沢はかつて昭和二十一年頃訴外関雅治に賃貸していた農地約二三畝を解約により返還を受けながら直ちにこれを訴外佐々木義雄に貸与した事実が認められるけれども、この事実を以てしても未だ訴外相沢が本件農地を自作する意向がないことの証左とすることはできない。他に右認定を動かすに足りる証拠はない。
かような認定事実から考えると、訴外相沢が原告との本件農地賃貸借を解約するにつき正当の事由あるものというべきである。故に右訴外人の解約許可申請を容れた被告の本件許可処分は適法であるから、これを違法であるとしてその取消を求める原告の請求は理由がない。
よつて原告の請求を棄却し訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用し、主文の通り判決する次第である。
(裁判官 松尾巖 飯沢源助 伊藤和男)